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October 22, 2007
経済屋問題
長い引用になるけれど、
>僕達は本来的に怠惰で、感動は約束されていた方がいいし、そうでないものは見たくない。でも、苦しみを抜けた先にある感動、最初はわからなかったものがわかる感動、新しいものを見つけ出す感動だって僕達には分かるはずなんだ。それを刺激するためには、僕は、前のエントリでインディーズについて述べたような、身近な人間関係が必要だったりすると思うし、権威付けだって悪くないと思うし、批評誌だって必要だと思うし、もっと言えばテレビによる仕掛けだって、それほど悪くないと思ってる。でも、CGM礼賛者たちは、そうした上からの権威を闇雲に否定して、消費者の自由を歌うばかりで、そうした外に向う回路を断ち切ってはいないだろうか。
>
>こんなことを言う僕は、反動的だと言われるのはしょうがないんだろう。でも、僕だって、まだインターネットに絶望したくない。CGMにだって未来はあるはず。
>
>だからさ、
>
>もう、テレビとかの旧来メディアと比較して、ネットやCGMを持ち上げるのはやめよう。もうそんな二項対立には飽き飽きした。純粋に今のCGMでいいのか、それを考えよう。少なくとも、ちょっとだけ足を止めて、自分が今どちらを向いているかだけでも確認しよう。
>
>あと、これだけはもう一度言わせてくれ。最もたちの悪いのは、オタク的コンテクストに乘っておらず、たいして初音ミクの動画自体評価してもいないのに、その盛り上がりの形式だけを取り上げて、絶賛する経済屋(T.MURACHIさんが、「経済屋問題」というタグをつけてくれてたけど、こういう意味なのかな?)やメディア評論家、金の匂いを嗅ぎつけるのだけが上手な文化破壊者。奴等にだけは「初音ミク」を渡すな。
そんな二項対立で現実を描けるとは思わないし、(役人含め)経済屋の文化破壊行為(注)に文化を捧げるなというのは激しく同意なのだけれども、果たして本当にネット上のCGM礼賛は旧来の権威を闇雲に否定して二項対立でCGMを持ち上げ、外に向かう回路を断ちきっているのだろうか?
佐々木俊尚氏言うところのフラット化された世界では、既存権威が代表してきた<われわれ>は消えさってしまう。もし、権威が権威であるためには権威は常にコンシューマを上回る刺激を供給し続けなければならない。CGMの枠組の中では、権威であろうとするなら、そのアウトプットに求められるレベルは上昇する。
既存の権威の一部は、そのレベルのあまりの急上昇について行けず、その権威性が否定されてしまっているのが現状なんじゃないか。放送局であれば、もし放送という強力な情報伝達手段を失ってニコ動と同じ足場に引き下ろされたとき、「アッコにおまかせ」はどれだけのPVを集められるのか、電波ではなく番組としてどんだけの価値があんのか、怠惰な我々を刺激してくれるのか、と。
(注)蒸し返すようだけれども、カネとヤラセに満ちたあの時の京大ミスコンは経済屋の文化破壊行為であり、開催されなかったのは実に良かったのです。
参考1、2
Posted by rover : October 22, 2007 10:44 PM