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October 19, 2007

自由違い

この木曜にMIAUという団体が設立されたようで。設立目的は、
>「情報技術を応用することで、現在よりも自由で幸福な社会を作れる」と考える人々の声をまとめ、既存の法や制度に依拠する人々に対して、新たな技術による自由がもたらす利益と幸福について説明するため
とのこと。


そいで、この団体の設立に対するある人のはてブのコメントを音楽配信メモ経由で見た。
>「自由」って他人に迷惑を掛けないことだよ。そうじゃなきゃ「我儘」。そこ忘れないでね。
だそうで。コメント主は誰あろう、CONTENT'S FUTURE事件で失笑を買っていたmohno氏。津田氏からは、

あれは壮大な釣りだったのですねm9(^Д^)プギャー

的に皮肉られていて、ホントに吹き出してしまいました。


それはそうと、このmohno氏のコメントって、一般論としては一見合ってるようではあるけれど、やっぱり間違っている。


権利の配分は、今の状態が絶対的だというわけではない。権利配分をした時点から色んな前提状況が変われば、その権利の配分状態Aから権利を再配分して別の状態Bにしたほうが、社会的により良い状態が実現できることもありうる。取引費用が無ければ権利がどっちにあっても一緒になるわけだけど、実際には取引費用はあるんだから。


・・・というのをこの設立趣旨の文言でいうなら、「既存の法や制度」による権利の配分が状態A、「情報技術を応用した現在よりも自由な社会」の権利の配分が状態Bにあたる。MIAUの設立趣旨に出てくる自由な社会ってのは、権利の配分をよりユーザーサイドへ持って行くことによって、ユーザーの取り得る行動の範囲が広がった社会のことであって、そういう社会が実現したあかつきには正当な権利はユーザーにあるのだから、その広がった範囲内で行動する限り他人に迷惑を掛けることにはならない。一方、mohno氏言うところの「自由」ってのは、モノの本では消極的自由なんて呼ばれる「自由」のことで、上のような権利の配分という文脈で言えば状態Aにおける個人の行動の振幅に過ぎない。


自由違いだ。

Posted by rover : October 19, 2007 11:54 PM

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