自分のアイデアを「オリジナリティがない!」と一蹴されたら、誰だって「じゃあ、お前がアイデア出してみろ!」と反発したくなるだろう。
そこで今回は『キャラクター小説の作り方』(大塚 英志)をヒントに、”オリジナル”なアイデアの出し方について考えてみたい。
これから紹介する簡単な視点さえ身につければ、アイデアに困ることはなくなるはずだ。
まずキャラクターの作り方について著者は次のように述べている。
1.既存のキャラクターを抽象化する。
2.その上で様々な個別の要素を加えることで”オリジナル”なキャラクターができる、と。
この本の中では例として、「左右の眼が異なる」という要素を抽象化し、
そこに年齢や性別などの詳細を加えていくことで、1人のキャラクターができ上がっていく様子を示してある。
つまり”キャラクター個人”を特定できないほどに抽象化した特徴に
具体的な個々の特徴を組み合わせていくことで、1人のキャラクターが生まれるのである。
著者も文中で述べているが、「特徴」と言えるほどの特徴はそれほど多くはない。
隻眼だとか、髪の毛が緑色だとか、怪物に変身できるだとか、超能力が使えるだとか
世の中にあるさまざまな小説、映画、ゲーム、マンガに登場する星の数ほどのキャラクターも
その特徴を抽象化してしまえば、大した数ではあるまい。
しかし、その抽象化された特徴に、いろいろな設定(パラメータ)を組み合わせていくことで、”個性”が生じるのだ。
たとえば、ドラえもんもコロ助も鉄腕アトムも皆「優しい心をもつスーパー?ロボット」という一つの特徴に抽象化できるかもしれない。
しかし、これらのキャラクターは決して没個性してはいない。それぞれに強烈な”個性”を放って感じる。
そのように”個性”を感じるのは、個別のパラメータが違うからだろう。
この抽象化とパラメータ付けという方法は、単にキャラクターを作るときだけではなく、さまざまな分野で応用が利くと思う。
たとえばビジネスモデルを考案するにしても、この方法は有効である。
まず既存のビジネスモデルの本質を抽象化し、
(元のビジネスモデル自体は広く普及しているかも知れないし、既に廃れているかもしれない)
その抽象化したモデルに時代のニーズに合わせたパラメータ付けをしていく。
例として比較.comを考えてみよう。
商品やサービスの比較自体はインターネットが普及する以前から行われていた。
雑誌の特集記事として新製品の比較が組まれることもあったし、
保険代理店のビジネスモデルは比較.comと本質的にはなんら変わるところは無い。
比較.comは無から有を生み出したわけではなく、
既にあったビジネスモデル
(多くの情報を比較しやすい形で提供し、契約成立時にマージンをもらうというモデル)
を「インターネット」という舞台に移しただけなのである。
このように、大成功を収めているビジネスモデルであっても、
(全てとは言わないが)この抽象化とパラメータ付けという方法を使っているものが多くあることが分かるだろう。
そして、ここまで読んだあなたは気づいているであろうが、実はこの記事自体も抽象化とパラメータ付けという方法を使って書いている。
つまり、”キャラクターの作り方”という具体的な事例から、本質を抽出し、
それに対して「ビジネスアイデアを考える点ではどうか?」というパラメータ付けをしているに過ぎない。
0から1を生み出すのは大変だが、1を100にするのは知恵と努力があれば不可能ではない。
アイデアに困ったときには、抽象化とパラメータ付けという視点を意識して周囲を見渡してみてはどうだろうか。
きっとあなたは、アイデアの原石の山に驚くはずだ。
「無知」と聞けば、ソクラテスの無知の知を思い出す。
時は2400年前、処はギリシア。
アポロンより「最も知恵のある者」と託宣されたソクラテスだが
「まさか、自分が”最も知恵のある者”であるはずはなかろう。自分よりも優れた人があるはずだ」
と思い立ち、当時”知恵者”と呼ばれていた人たちを訪ね歩く。
敏腕の政治家や、ソフィスト(当時のギリシアにおいて金銭を受け取って”徳”を教えるとされた弁論家・教育家)や、時には通りすがりの若者とさえソクラテスは議論をした。
彼らの多くは、自他共に認める”賢人”である。
そこでソクラテスは、彼らに「善とは何か」「真理とは何か」といった問いを投げかけるのだが、
”賢人”といわれる彼らも、真に重要な根本的問題については答えられないのであった。
その時ソクラテスは
「世に言う”賢人”たちは、本当は自分が何も知らないということを知らない。
私は、自分が何も知らないということを知っている。
この点において、私は彼らよりも知恵があると言えるのかも知れない。」
と気づいたと言う。
誰しも「自分には知恵がある」と思いこんでいる。
口では
「私など大した者ではありません」
と言っていても、心の底では
「自分ほどの知者はいない」
と思っているのが人間だ。
その証拠には、幼稚園児や小学生に誤りを正されたら腹を立てる心があるではないか。
もし本当に己の愚かさを知らされているのであれば、どんな相手の諫言も心して聞けるはずである。
皆、心の中では「私こそ最も知恵のある者」とカンカンに信じこんでいるのだ。
己の愚かさに気づかぬ道化ほど哀れな者はない。
その思い上がりを自覚してこそ知恵が生じる。
自己の傲慢さを知らされてこそ、真実への扉は開けるのである。
「さて、ブログをはじめよう」
と思いたったは良いが、何を書いたら良いものか。いきなりつまづいている。
いや、書きたい内容は限りないのだが、
最初の挨拶、本であれば「はじめに」の部分がなかなか思いつかずに困っているのである。
だが何事も目指す目的地が定まらないことには進めない。
何はともあれ、このブログの進み行くところを示すのが先決であろう。
このブログの目的は単純だ。
読者に「考える」キッカケを持ってほしい、とのことに尽きる。
具体的に何をするのかと言えば、私はこのブログにおいて様々な事実を突きつける。
それに対して私見を述べることもあれば、問題定義だけに留まることもあろう。
いずれにせよ、それらの文章を読んだ者が、現状を振り返り、現実を見つめなおす手がかりになればと思っている。
文章はなるべく難解すぎず平易なものにしたいと思ってはいるが
「平易に書きたい」と前書きされている文章が難解な文章になりがちなのは世の常である。
分かりにくい点・難しい箇所などあった時にはご容赦願いたい。
なお筆者は東洋思想が好きである。
また考え方も日本人である。
ゆえに記事の内容も、そちらに偏るであろうことを予告しておく。
私個人の紹介が遅れたが、私は京都大学理学部のtakuと言う者である。
本名がばれても問題ないのだが、せっかくのネットなのだ。匿名性を楽しもうではないか。
終わりになってしまいましたが、このような場を与えてくださった kyoto-u.com スタッフの皆さんに感謝します。ありがとうございます。
それでは、あなたと共に思惟の海に潜れることを期待したい。