「無知」と聞けば、ソクラテスの無知の知を思い出す。
時は2400年前、処はギリシア。
アポロンより「最も知恵のある者」と託宣されたソクラテスだが
「まさか、自分が”最も知恵のある者”であるはずはなかろう。自分よりも優れた人があるはずだ」
と思い立ち、当時”知恵者”と呼ばれていた人たちを訪ね歩く。
敏腕の政治家や、ソフィスト(当時のギリシアにおいて金銭を受け取って”徳”を教えるとされた弁論家・教育家)や、時には通りすがりの若者とさえソクラテスは議論をした。
彼らの多くは、自他共に認める”賢人”である。
そこでソクラテスは、彼らに「善とは何か」「真理とは何か」といった問いを投げかけるのだが、
”賢人”といわれる彼らも、真に重要な根本的問題については答えられないのであった。
その時ソクラテスは
「世に言う”賢人”たちは、本当は自分が何も知らないということを知らない。
私は、自分が何も知らないということを知っている。
この点において、私は彼らよりも知恵があると言えるのかも知れない。」
と気づいたと言う。
誰しも「自分には知恵がある」と思いこんでいる。
口では
「私など大した者ではありません」
と言っていても、心の底では
「自分ほどの知者はいない」
と思っているのが人間だ。
その証拠には、幼稚園児や小学生に誤りを正されたら腹を立てる心があるではないか。
もし本当に己の愚かさを知らされているのであれば、どんな相手の諫言も心して聞けるはずである。
皆、心の中では「私こそ最も知恵のある者」とカンカンに信じこんでいるのだ。
己の愚かさに気づかぬ道化ほど哀れな者はない。
その思い上がりを自覚してこそ知恵が生じる。
自己の傲慢さを知らされてこそ、真実への扉は開けるのである。
東洋思想が好きなくせにガチガチの西洋思想から入ったのには笑った。なんかあるかと思ったら比較もなにもされてないし。
とりあえず傲慢を知らせてあげるから、真実の扉頑張って開けてみたらどう?笑
Posted by: 軽々しく誰もがとか使うのはいただけない : August 29, 2008 07:36 AM