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July 25, 2006

番組評:映像の世紀 第二集

戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。アレキサンダーやシーザーやナポレオンが兵士たちと危険を分かち合いながら、馬で戦場を駆けめぐる、帝国の運命を決する、そんなことはもう無くなった。これからの英雄は安全で静かで物暗い事務室にて、書記官たちに取り囲まれて座る。一方何千という兵士たちが電話一本で、機械の力によって殺され、息の根を止められる。これから先に起こる戦争は女性や子供や一般市民全体を殺すことになるだろう。やがてそれぞれの国には、大規模で限界のない、一度発動されたら制御不可能となるような、破壊のためのシステムを生み出すことになる。人類は初めて自分たちを全滅させることができる道具を手に入れた。これこそが、人類の栄光と苦労のすべてが最後に到達した運命である。

−ウィンストン・チャーチル

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前回に引き続いての第二集の紹介。今回は第一次世界大戦の始まりから終結まで。この戦争において重要な点はやはり火力の増大と塹壕戦につきると思う。いままでは騎馬隊と歩兵隊で突撃するのがメジャーな方法だったが、機関銃の発明により、バリケードを作ってそこから銃を乱射するだけで相手の兵士をなぎ倒せるようになった。地上に生身の人を配置しても無駄死にさせるだけとなったのである。じゃぁ、いったいどうやって戦うかというと、塹壕を掘って銃弾にあたらないようにし、そこから射撃するようにすることだった。しかしどちらの国も考えることは同じで、お互いに塹壕をはさんだままの戦線の膠着が続いたのだった。なんとこの状態が4年間も続き、その間相手の塹壕ラインを突破するために兵器の開発が続いたのである。具体的には、毒ガス・戦車・戦闘機・火炎放射器などで最終的に兵士だけで900万人の戦死者を出した。

この映像は戦争の悲惨さをよく伝えている。いったいなんでこんなことが起こってしまったのか、どうしてこんな悲惨な戦争が行われることになってしまったのかを考えると、やはりそれは、開戦当初はここまで悲惨なことになるとは思ってなかったということになると思う。『さくっと戦争をやって、半年もたたずに決着が付く、戦闘期間も短いし今までの戦争と変わらないだろう』という思い込みが戦争を始めさせたのだ。そしていったん始まってしまうと、どちらかが負けるまで戦闘は終わらない。しかし勝つために歩兵を進軍させると大量に兵を失って負けてしまうというジレンマに陥り、長期化、被害の甚大さに繋がったのだと理解している。

確かに、戦争が長期化しここまで被害が拡大すると開戦前に予測することは難しかっただろう。また、その頃は植民地政策全盛の時代で、戦争に勝つことによる利益によって国が潤うという側面もあった。だから、この戦争が起こったことは人間の心理として理解できる。ただ、この戦争が終わってからたった21年後にまた大規模な戦争が起こっているのが納得がいかない。なぜだ。これだけ戦争が悲惨になるってわかっているのに、なぜお前たちは記憶も鮮明なうちから第二次世界大戦をはじめるのだ。いったいこの戦争で何を学んだのだ。と考え込んでしまった。

この第一次世界大戦から第二次世界大戦までの出来事が気になり調べてみたところ、非常に興味深いことがわかった。なぜ第二次世界大戦が起こったのか、その芽は戦敗国への多額の賠償金によって生じた、生活の圧迫による不満であった。その不満によりナチスがうまれた。では、なぜそのナチスドイツが第二次世界大戦を引き起こすことができるほど力を蓄えることができたのだろうか?その理由はなんと、第一次大戦の甚大な被害と恐怖に対してうまれた平和主義だった。この戦争を避けようとする主義・政策・世論によって、ナチスが軍を持つと主張した時に阻止することができず、ラインラントへの駐留を阻止することができず、オーストリアの併合を阻止することができなかった。ナチスはオーストリアを併合した後、チェコスロバキアのズデーテン地方を要求し、もし断るなら戦争も辞さないと宣言した。これに対してすら、戦争を嫌う各国は「これ以上の領土を要求しない代わりに認める」という結論を出してしまったのだ。もうこれは悲劇というほかない、戦争を回避するための平和主義がナチスの軍備拡大・領土拡大を許したのだ。いったい、これはなんだ。平和主義が戦争を生むのか。そんなことがあっていいのか。平和主義が戦争を生むならいったいどうしたら第二次世界大戦を防ぐことができたというのか。僕はこの答が容易に見つからず、頭を抱えてしまった。


最後に(これがいいかどうかは別として)チャーチルの言葉を引用しておく、

第二次世界大戦は防ぐことができた。宥和策ではなく、早い段階でヒトラーを叩き潰していれば、その後のホロコーストもなかっただろう。

−『第二次世界大戦回顧録』ウィンストン・チャーチル

投稿者 gaaaaaaan : 06:44 PM | コメント (0)

July 23, 2006

ソースも調べずに議論がすすんでいく気持ち悪さ

昭和天皇と靖国神社とA級戦犯スレを読んでいて思ったのですが、このソースが本当かどうか怪しいというコメントが何回か出てきているにもかかわらず、議論がすすんでいっていることに気持ち悪さを覚えます。


そんなわけですこし調べてみました。楽韓Webのほうから情報を引っ張ってきて…
まずメモの全体像は以下のようになります。
メモ画像これをテキストに直すと

                4.28 4
    前にもあったが どうしたのだろう
    中曽根の靖国参拝もあったが
    藤尾(文相)の発言。
    =奥野は藤尾と違うと思うが
    バランス感覚の事と思う
    単純な復古ではないとも。
    私は 或る時に、A級が
    合祀され その上 松岡、白取
    までもが、
    筑波は慎重に対処して
    くれたと聞いたが

・   松平の子の今の宮司がどう考
余そ  えたのか 易々と
りう  松平は平和に強い考えが
関で  あったと思うのに 親の心子知
係す  らずと思っている
もが  だから 私あれ以来参拝
知が  していない。 それが私の心だ
ら多
ずい  関連質問 関係者もおり批判になるの意


とまぁ、ここまでの情報はほぼ間違いないでしょう。


さらにメモの裏側を解読した人がいるらしく、ここから引用すると

     63.4.28
xPressとの会見
(1) 昨年は
(1)高松薨去間もないときで
 心も重かった
(2)メモで返答したのでつく
 していたと思う
(3)4.29は吐瀉したがその前で
 やはり体調が充分でなかった
 そxで xxに今年はの記者の
 印象があったのであろう
=(2)については記者も申して
おりました
(2)戦争の感想を問われ、
嫌な気持と表現したが
それは后で云いたい
そして戦后国民が努力して
平和の確立につとめてくれた
ことを云いたかった
”嫌だ”と云ったのは奥野国土庁長
の靖国発言中国への言及にひっかけて
云った積りである

と書いてあるそうです。写真はリンク先を参考にしてください。


これを受けて先ほどの楽韓Webとここにのっているもの等を参考に、「偶然だろ」で片付けられないような疑問を書いていくと


【重大な疑問】
1 「日記や手帳に克明に書き残していた。」のになぜかこの部分は手帳に貼り付けてある。
2 日記のページは黄色く変色しているのに、メモ自体の保存状態が極めて良好(紙が真っ白)。
3 ブルーインクで書かれた文字が、経年劣化で退色したりかすれたりせず、綺麗なままである点。
4 1988年4月28日に富田宮内庁長官の拝謁の記録なし?徳川侍従長とは打ち合わせの記録アリ?(※未確認情報)
5 「藤尾(文相)」とあるが、藤尾正行の文相在任期間は、1986年7月22日〜9月8日。
6 端書に「そうですがが多い」「関連質問」と書いてある。

裏側に関しては
7 xPress会見と書いてある。
8 4月28日の日記に4月29日の記述がある。

の8つがあげられます。順に見ていきましょう
1:「日記や手帳に克明に書き残していた。」のになぜかこの部分は手帳に貼り付けてある。
写真を見るとわかるように、反対側にもメモ帳がはってあります。これを裏付ける記事としてここに『この二年間の手帳の特徴は書き込みのあるメモ用紙が至る所に張り付けられている』との記述があります。この記事を僕自身が確かめたわけではないですが、このリンク先のサイトの特徴からして本当である可能性が高いです。さらに容易に確かめることができます。
これに対する反論もあり、産経新聞のWebサイトには、『政府筋は「手帳のあのページだけ紙がはり付けてあるという。メモを宮内庁で見た人はいない。本当に昭和天皇が言ったかどうかも分からない」と指摘しており、』と書いてあり前述の意見と真っ向から対立します。どちらが本当かは実物を見てみないと判断できません。

2:日記のページは黄色く変色しているのに、メモ自体の保存状態が極めて良好(紙が真っ白)。
中性紙は1988年には存在したので、可能性としてはありうる。(参考

3:ブルーインクで 書かれた文字が、経年劣化で退色したりかすれたりせず、綺麗なままである点。
インキの経年劣化について調べたがはっきりしたことはわからず。なんともいえない。

4:1988年4月28日に富田宮内庁長官の拝謁の記録なし?徳川侍従長とは打ち合わせの記録アリ?
調べたがわからず。これもなんともいえない。これが本当だったら決定的。

5:「藤尾(文相)」とあるが、藤尾正行の文相在任期間は、1986年7月22日〜9月8日。
藤尾正行の文相在任期間が1986年7月22日〜9月8日というのは事実であり、メモに記された日付と齟齬が生じている。これは、大きな疑問で、本当に1988年にこのメモが取られたのか?という疑問が残ります。

6:端書に「そうですがが多い」「関連質問」と書いてある。
これも意味不明で、本当に昭和天皇の発言をメモしただけならばこの端書は一体なんだということになります。

7:xPress会見と書いてある。
写真を良く見ても、『xPress』と本当に書いてあるかはよくわかりません。ただ『会見』という文字ははっきり見えます。この会見はいったい何の会見だったのでしょうか?またこれが会見のメモだとすると疑問6の「そうですがが多い」「関連質問」ということにも納得がいきます。ただし、その場合は、メモが昭和天皇の発言である可能性は低くなります(なぜなら昭和天皇がそういった趣旨の会見を行ったことがないから)。

8:4月28日の日記に4月29日の記述がある。
確かに写真を見ると4.29と書いてあるように見えます、なぜ28日のメモに29日のことが書いてあるのかが不明です。ただ可能性としては、27が29のように見えているということも…

と、このように見てきて、この資料には不明瞭な点が多いことがわかります。特に疑問5、6、7あたりが、このメモが本当に昭和天皇の発言なのかということに疑問を投げかけているように思います。


ここらへんの疑問を明らかにしてくれるよう、日経新聞が続きの報道をしっかりやってくれることを望みます。


なお、冒頭に紹介したスレでは
19番の方が

漏れもでっち上げかと疑って、ネットにうpされた写真を何枚も見て、裏返しになってるメモを反転させて読んだり、該当個所の左ページ(靖国問題と無関係なメモが貼ってある)の字と問題のメモの字を見比べたり、いろいろ検討してみたのだが・・・ どうも信憑性が非常に高いと認めざるを得ぬようだ。 正直、残念だが。つか疲れた・・・。


と述べているのですが、その根拠を是非教えてもらいたいなと思ったり…


また、52番の方が

今回の一件は、日経のスクープなわけだが、記者ないしデスクは、かなり以前から情報を握っていたと思われる。 このタイミングで報道したのは、なぜか?ということになってくる。


と書いており、同様の意見を別の場所でも何度か見ましたが、個人的な意見としては政治的なものではなく、日経社員、近く取り調べ インサイダー取引の疑いというニュースを目立たなくしたかっただけではないかなーと思っています。

投稿者 gaaaaaaan : 06:02 PM | コメント (0)

July 21, 2006

番組評:映像の世紀 第一集

映像の世紀 第一集−NHK

(1/8)
(2/8)
(3/8)
(4/8)
(5/8)
(6/8)
(7/8)
(8/8)


僕が高校2年の頃、テレビが急に面白くなくなり、大学に入ってからはまったく見ないようになった。したがって僕のテレビの歴史は1998年あたりで止まっているわけだが、今でも深く印象に残っている番組が2つある。ひとつはNHKスペシャルの"海"、もうひとつが今回紹介する"映像の世紀"だ。

以前からもう一度みたいと常々思っていたのだが、わざわざ図書館まで行くのも億劫だったので見れないでいた。だが、ついこの前「もしかしてYouTubeにおいてあったりして」と思い、検索してみたところ本当に見つけたので紹介がてら感想を書いてみようと思います。本来ならばこういった違法ファイルの紹介じゃなく、正規のものを紹介したいのですが実はこのビデオ、定価が8万もするのだ。これはあまりにひどすぎる。個人が買うことを前提にした値段ではないよ。もちろんレンタルビデオにもおいてないし・・・。こんどNHKが過去のアーカイブを有料ではあるもののネット上で見ることができるようにするらしいので、それに期待したい。一作品200円ぐらいなら僕は喜んで払います。

さて、これは全11集のシリーズで、映像を使って20世紀を振り返りましょうというコンセプトになっている。この第一集では映画が誕生した1895年から第一次世界大戦が始まる1910年あたりの映像が集められている。あの、みなさん1900年前後の映像とか見たことありますか?僕はこの番組以外でみたこと、ほとんどないよ。そんなめったに目にしない映像が80分もまとめて見れるのはとてもよい経験だと思う。例えば1900年のパリ万国博覧会、イギリスが最も輝いていたヴィクトリア朝時代、ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世の私生活映像等を見たことある人がいったいどれぐらいいるのだろうか?中でも特に衝撃的だったのが、サラエボ事件で暗殺される数時間前のオーストリア皇太子の映像で、この第一次世界大戦のきっかけとなった歴史の大きな転換点を見ているとなんともいえない気持ちになった。

投稿者 gaaaaaaan : 03:55 AM | コメント (0)

July 13, 2006

映画評:BRAVE STORY(ネタばれ有)

BRAVE STORY−千明考一 (原作:宮部みゆき)


小説や映画というのは伝えたいことを伝えるためにさまざまな表現方法をとることができる。例えば、人の命の大切さを伝えるために医者の話や戦争の話、ファンタジーアニメ等さまざまな表現を使うことができる。今回はその「表現方法」と「伝えたいこと」の2つに分けてレビューしたいと思います。ただし、「伝えたいこと」の部分は思いっきりネタばれになってしまうので、追記の部分に書き、さらに反転させることにします。最後のエピローグ部分の話をしちゃうからね。


「表現方法」:
小学生のころは学校に行くとすぐにゲームの話をしたもので、例えばドラクエ3に関して「イエローオーブをどこでとればいいのかわからないんだ〜」という会話をしたことを今でも覚えている。そして、その流れでドラクエごっこ、RPGごっこをした覚えは無いだろうか?僕はその覚えもある。小学5年生の頃にジャングルジムを友達6人ぐらいで陣取って、「俺はグリンベレー!」「それじゃ俺は玄武!」とか言いあっていた。グリンベレーはまだ軍隊の名前だからいいけど、玄武って頭悪いよなぁ。しかし、当時は確かにそういったことに夢中になっていた。今ではその面白さがまったく理解できなくなってしまったけど・・・

この映画は、そういったRPGごっこを表現方法に使っている。だが、すでに大人になってしまった僕にはRPGごっこの面白さがわからなくなってしまったように、この表現方法でわくわくするようなことはなかった。ただ、この映画の対象は僕のような大人というよりはむしろ子供であり、そういった子供にとってはわくわくする話なのかもしれない。

また、クライマックスの頃に小学校5年生の主人公がこの冒険を通して得た事を語る場面があるのだが、その内容は小学5年生にしては異常なほど高く、”言わせてる”感が強かったのも残念だった。


以下ネタばれ。

「伝えたいこと」
この映画で伝えたいことは「自分の夢をかなえるために何かを犠牲にしなければいけないならいったいどうするか?」というものであるように感じた。このテーマ自体は非常に興味深く、確かに簡単に決められないことも多々ある。自分は仕事をやめて起業したいんだけど、家族のことを考えるとできない人とか、このテーマに思いっきり該当するんじゃないだろうか?ただ、この映画は自分の夢よりも犠牲を大切にするべきだと伝えていたのが残念であった。実際は状況によるところが大きいよね。例えば、薬の研究者がいて、その娘が不治の病にかかっているとする。その研究者は娘の命を救うためにたくさんの動物実験を行い数多くの動物を殺した。・・・この行為を否定することは僕にはどうしてもできない。そして、実際に新薬のためにたくさんの動物実験が行われているのだ。

最後に、これはひどいな、と思ったのは主人公が自分の夢をあきらめて犠牲を出さないことを選んだのに、エピローグではちゃっかりその夢もかなえられていたことだった。せっかくいいテーマだったのに、なんかもう台無し。

投稿者 gaaaaaaan : 03:23 AM | コメント (0)

July 10, 2006

書評:決断力

決断力−羽生喜治

・日頃から実力を磨き、周りからの信用を勝ち取ることは、物事を推し進めるために大切なことだと考えている。

・どの世界においても、大切なのは実力を持続することである。そのためにモチベーションを持ち続けられる。地位や肩書きは、その結果として後についてくるものだ。逆に考えてしまうと、どこかで行き詰ったり、いつか迷路にはまり込んでしまうのではないだろうか?

以前、関西電力の人事部の人(40歳ぐらい?)に、「社内で出世する人に共通して見られることは何ですか?」と聞いてみたところ、答は2つあった。ひとつはコミュニケーション力だかそういった類のありきたりなことだったので忘れてしまったが、もうひとつの答は僕にとってやや意外なもので印象に残っている。その答とは「決断力」であった。


考えてみれば、実際の仕事において正解がはっきりわかっている判断などあまり無いのではないだろうか?このプロジェクトを実行するとリターンも大きいけどリスクも大きいんだよなぁ、もう一個のプロジェクトはローリスクローリターンだしそっちでいいか。いや、でも、変化の早いこの世の中ローリスクのプロジェクトを行うこと自体がハイリスクだったりして・・・とか、とりとめも無い考えを普通にしてそうである。
実際、これまでも多くの正解の読めない判断をしてきたもので、それが些細なものならいいのだが、人生を大きく左右するい決断も数多く存在する。例えば京大を受けるという決断だってそうだ。ちなみに僕が京大を選んだのは「東大は日本一っていうのが気に食わないし、男ばっかしかいない東工大は嫌だ」ってことと、小学生の時に感じた「この大学に行きたい」という考えを引きずってたって事だけだから、いかに適当かがわかる。就職に関しても、いろいろ理由を個別にあげていくことはできるのだが、結局は「女の子にもてそう」という理由と「よさそうに感じた」というただの直感ではないかと思う。なんかこうしてみてみると、僕の人生における判断は「女」と「なんとなく」が基準になっている気がする。わりあい、あたっている気がするところが怖いなぁ。


そういった、なんとなくこなしてきた決断をする力を磨くにはどうしたらいいのだろうか?とおもいこの本を購入してみた。将棋においては、考えて考えて論理的に答を決めるものだと思いがちだが、決してそういうわけではなく、プロの棋士でも10手先の状況すらわからず、3つぐらい手を考えて、そういったなかでなんとなくよさそうなものを打っていくのだそうだ。もちろん、そんな状況だから対局の最中は決断の連続となる。そういった状況にたずさわっている筆者が、どのようにすれば決断力を伸ばせるのか述べている。


と、ここまで書いてきてなんだが、僕が最も印象に残ったのは、決断力の話ではなく、故大山康晴にちなむ話だった。著者いわく、『大山先生を前にするとものすごい威圧感にずっと圧倒されるような感覚になる』のだそうだ。どうやら非常に心理戦に長けた人だったらしい。その大山は「仲間に信頼されることが大切だ」と語ったのだそうで、それはつまり、仲間に強いと信頼されればそれだけで勝ちに繋がる、というわけである。あるよね、そういうの。ほら、スポーツとかでもあるじゃない。「それでも仙道なら・・・仙道ならきっと何とかしてくれる」とか、そんなかんじのことが確かににある。仲間に信頼されるにはどうすればいいのだろうか?その方法は、どうやら上で引用したように、努力をして実力を磨きそしてそれを維持することによって得られるもののようだ。僕のような一般人でもできるだろうか?まずは周りに認められるような実力を得ることから始めたい。

投稿者 gaaaaaaan : 01:00 AM | コメント (0)