他人の視線を意識しているblogが多すぎ。
しょせんオナニーなんだし、好きなようにやりゃいいんじゃないですかね?
人の感じ方は様々なのだから、いちいち「つまらない」とかの言葉に反応してたら
何もかけなくなりますよ?
自分に対する批判・批評を受け止めることも大事ですが、
受け流すことも同様に大事だと思います。
>他のブログ提供コミュニティでもあるかどうかってのはわからないけど、blog.kyoto-u.comのユーザー同士で良かれ悪かれ何らかの反応をし合っているというのはある意味興味深いと思う。
同意。なんかおもしろいなーと思います。
ただ俺としては、基本的に他のBlogと接触を持つのは、身内で盛り上がってる感がでてきてしまって、
どうにも好きではないです。
DCさんとおなじように、遠くから観察対象として眺めていたいわけですが、まぁ、残念ながら(?)、このblogもその反応を及ぼしあっていいる一部ではあるわけで…
(この部分は「踏み倒しコラム」が「フィクションです」に反応をあたえて作られました。)
せっかくの機会だし、他のBlogで反応が必要そうなものに、レスをつけていきたいと思います。
あるヒキコモリ青年の日常
>私は本当にド素人なのでよくわからないのですが、「ロンシャンの教会」について述べていただけませんか?
俺も建築に関して・C
前回のエントリーと微妙につながる内容なのですが、
工学と芸術の差って何だと思いますか?
工学というのは何かしら目標があって、それに向かって最適化していくことだと思います。
もちろん最適化の過程には数値解析・調査データなどいろんなものを参考にする必要があります。
あたりまえながら、数値解析やデータの解析などを行うためにはある程度の知識は必要になってきます。
理論・解析・データ調査などの手法を学ぶのが大学における工学部の役割だと感じます。
芸術というのは、これはもう主観の問題でしょう。その人にとって良いと思ったものが良い。
そこに理由はありません。
抽象画などはその端的なものでしょう。
何が書かれてるかが問題ではなく、何を感じるか、それが問題となります。
こういう面では、幼稚園児だって芸術家になれそうです。
ただし、頭に思い描いたものを形にするためには技術が必要となってきます。
その技術を学ぶのが芸術大学なのでしょう。
前回のエントリーで
「もし、珍しい形の建物を作る必要があるのならば、それは珍しいということ自体を価値にしたいときである。という現状。」
と書きましたが、工学的に最適化をつきつめていくと、既存の概念にとらわれない物ができてくることがあります。
たとえば、飛行機におけるB−2。
この飛行機はレーダーにひっかからないというステルス性をつきつめ、理論・模型実験・空洞実験などを何度も繰り返し、この形になったと聞きます。
徹底的な最適化によって生まれる、既存の概念にとらわれない自由さ、これこそが工学だと感じます。
ちなみに、だから工学は芸術よりも優れているんだ、とかそういうことを言うつもりは全くありません。
たとえば絵ですが、人の心を落ち着ける絵を作ろうと思ったときに、「赤よりも緑のほうが人の心はおちつく」などの調査結果や美を感じるという黄金比を使うことなどによって、工学的に絵を作ることは可能だとは思いますが、
そうやって作った絵よりも、主観・直感で芸術家が作った絵のほうが心が落ち着く、なんてことはざらにあるでしょう。
まぁ、工学と芸術などは普遍的過ぎて比較できるようなものではないと思います。
少し話はそれますが、kyoto-uで文系と理系、どっちが役に立つか見たいな話がずっとかわされてますが、
せめて、「理系というのは大学における医学部・理学部・農学部・工学部出身者を指し、
文系というのは大学における法学部・文学部・経済学部・教育学部を指す、
その他の学科の出身者はここでは考えない。
追跡調査によると理系出身者の平均納税額は文系出身者の平均納税額よりも多い、
よって、国に収めるお金という尺度で社会への貢献度を測ると理系のほうが優れている」
(↑これはあくまで例であって、実際はどうか知らないですが)
ぐらいはきちっと議論するのがいわゆる理系的な考え方だと思います。
「数学ができないから文系はダメだ」「文系は役に立たない」
などの発言を見ると、そのあまりの理系っぽくない発言に苦笑してしまいます。
理系・文系という分け方じたい普遍的なのに、さらに評価の尺度もあいまい、
これでいったい何を評価するのだろう?
と感じます。
今日、桂キャンパスを散歩して、建築科の建物のほうへ歩いていきました。
建築科の一階では、学生が考えられたと思われる模型が何個か置いてありました。
んで、ながめてたんですが…
「なんだこれ?」ってのが、率直な感想。
いやー、建築について、何も知らない俺が言うのもなんですが、けっこうむちゃくちゃですよ?
ほんとうに・・・
とりあえず、どれもこれも、お金と土地が無限大にあるのが前提?ってかんじ、
たとえば、京都府庁のモデルとかあったけど、あれとか絶対ムリだろっておもった。
なんか都庁の高いところをとっぱらったみたいな感じの建物でした。
もちろん、建物の前には広場みたいのが整備されてた。
あんなん、土地もたてるお金もないだろー。
なんか、学校のモデルとかもあったけど、それもだいぶお金かかりそうだった。
別のだと、河川敷に読書室とかの建物をなんこか作るようなモデルもあったけど、
あれもみてて???だった。
河川敷って、洪水対策のために広く取ってあるんであって、そこに建物建てちゃダメでしょ。
それとも、、あの河川敷は公園とかそういうイメージなのだろうか?
氾濫しないようにどっかから引いてきた川、みたいな…
あと、なんかやったら複雑な建物が多かったなー。
これって迷路?みたいな。
なんか、メビウスの輪みたいなのもあったし…
三角柱の柱をいっぱいたてて、人の流れやよどみをつくるみたいなのもあったけど、
あれはどっちかって言うと人の行動を柱で縛ってるって感じに感じた。
つうか、柱多すぎて、死角ばっかりで、しょっちゅう衝突起きてそうだw
これみてて、IBMの研究所で働いていた人の言葉を思い出しました。
「有名な建築科がたてたようで外観はすばらしかったけど、中の環境はよくなかったね。
廊下側が一面ガラス張りなのに対して、居室は光がさしこまないんだよ。」
といってました。
ま、そんな感じの建物が多かったように感じました。
まぁ、暇な人は桂キャンパスのCクラスタの建築科の建物の一階に置いてあるんで、みてみては?
思うんですけど、広く出回ってるものってやっぱり何か優れてるから広く出回ってると思うんですよ。
たとえば学校ですけど、平たい直方体の外観をしてて、でその直方体の中には一本の廊下でつながれた教室が並んでいる。
ほとんどの学校がこんな構造だと思うんですけど、やはりそれには理由があると思うんです。
一見無機質に感じてしまうかもしれませんが、トータルで考えて学校の形の最適解はやはり、今の形かそれともそれに近いものに落ち着いてしまうのだとおもいます。
もし、珍しい形の建物を作る必要があるのならば、それは珍しいということ自体を価値にしたいときである。という現状。