●黎明期
掲示板が作成される。
実は、一番大きな分岐点はここにある。
頻繁に書き込む人を何人か集められなかったら、ずっとさびれたままである。
●発展期
頻繁に書き込む人が何人かいて、いろんな情報がかわされる。
その情報につられ、書き込む人もだんだん増えてくる。
とはいえまだ全体の人数は少なく、ほぼすべての書き込みを把握できる状況。
●拡大期
よい書き込みが人を呼び、呼ばれた人がまたよい情報を書く。 といった、よい循環が起こる。
たくさん書き込みするコテハンは、名前を覚えられ、これまでの書き込みを踏まえたレスをしたり受けたりする。
また、このころ初のオフ会がひらかれたりする。
●衰退期
人が多くなりすぎて、すべての書き込みを把握することがむずかしくなってくる。
新しい情報が次々出てくるわけではなく、昔でた情報が再び出てくるようになってくる。
本人に悪気はないのに他人を不快にさせる書き込みが出てくるのも不思議とこの時期が多い。
コテハンはある程度素性が割れてくる。
コテハンは馴れ合いを起こし始める。
●荒廃前期
あまり価値を見出せなくなった人間(含コテハン)、もともと荒らすつもりの人間が荒らしを始める。
別に荒らせたら対象は何でもよいのだが、もちろんその中には狙いやすいコテハンもふくまれる。
もともと新しい情報はでづらくなっている上に、荒らしにうもれてS/N比が悪くなってしまい、情報量の低下を起こす。
情報量の低下・荒らしに嫌気が指した人間。狙われたコテハンなどが去り始める。
●荒廃後期
いままで愛用していた者と、荒らしをするものとの間でいい争いが起こる。泥沼化。無駄なスレ、レスばかりとなる。
●安定期
人が減り、書き込みが減り、結果荒らしも減ってくる。
荒らしの相手をする人が減り、淡々と情報が交わされていく。
人が多少戻ってくる。
荒れを楽しむ雰囲気が出てくる。
雰囲気は決してよくはないが、活気がないわけでもない状態となる。
コメントがあったので追記
>座席と服の境目がビミョーで合成写真のように見えるのは気のせいですよね?
気のせいではありません。
あそこにはカバンが置いてあって、しかもそのカバンが特徴あるもののため
個人の特定を避けるために塗りつぶしました。
>あのヅラって去年、別の場所でも使ってはりました?
あんまり覚えてないですが、たぶん一年に一回ぐらいはつかってるとおもいます。
どうも話がかみ合ってない気がする...
もともと俺が言いたかったのは「安易に結論出しすぎな人がおおいんじゃないかい?」ってことであって、
hotさん(某理系院生の一日を書いている人)の意見については「俺はそうは思わないけど…」程度で、別に否定する気もありませんでした。
そして2回のやり取りを経て出されたこの文章なのですが、いったいどう捉えたらいいのだろうか??と悩んでしまいます。
んー、俺に対するメッセージというより、独り言的な文章と見ればいいのかな??
でも私信とかいてあるし、やっぱり俺へのメッセージ的な要素が強いのだろうか…
とりあえず俺は「法律を変えるべきではない」とは一言も言ってないですし、
『法律とは、利害が対立する人の仲裁の目安であり、時代により変わり、当然不変のものではない。
法律が現実にそくしてないならば、法律を守ることではなく、法律を変えることが筋ではないかと。』
というのにおおむね賛成ですよ。
おおむねと書いたのは、「法律が現実に即してないならば、現在ある法律を守った上で、法律を変えていくのが筋」だと思っているからです。
あと「大晦日だから判断できず、入れないというならば、京大事務?(どこが判断を下すのか知らないですけど)はお役所仕事だとしか言えない。けちくさい。」という主張をしてますが、
主観で意見を主張されても困ってしまいます。
というか、そういった主張をしてると「李登輝は大晦日にアポもとらずに訪れて、警察も入れてくれだなんて、常識が無いとしかいえない。馬鹿じゃね?」とか言われたときに困りませんか?
ちなみに、財産・安全>独立・自由の話も素直にうなずくことはできませんが、言いたいことは理解できます。
これについてまじめに議論し始めると、かなり大変なことになりそうなのでパスで…
とりあえず、言いたいことは理解できますよとだけ伝えておきます。
前回のブログで某理系院生の日記について思ったことを取り上げたら、なんか反応がありました。
ちょっと気になったので、一応書いておくと、
前回のblogの内容は特に個人を意識して書いたわけではなく、安易に考えてしまっている(ようにみえる)人たち全体に対しての主張でした。
まぁ、その全体の中に某理系院生の日記も含まれてましたけど・・・
せっかくなので、その反応の中身についてコメントでも…
『法律は所詮誰かの利害。
法律に触れても人道に反しない。』
という根本的な部分で俺と考え方が違っているので、出てくる結論も違ってくると思います。
それはそれでかまわないと思います。
考え方や信念は人それぞれですしね。
別に俺の考えを押し付ける気はありません。
(前回の俺のblogでいいたかったのは「安易に結論出しすぎじゃないかい?」ってことでした)
ちなみに俺は
『所詮感情は人によって千差万別である。
パブリックな決定は感情ではなく法律で考えるべき』という考え方です。
もちろん感情の中に人道うんぬんも含まれます。
話は余談にそれますが、感情と法律をごっちゃにしてしまった人の例として
カレー氏&ミッドナイト氏の議論(コメント欄)をみてみると面白いと思います。
ちなみにまとめはこっち
念のため書いておきますが、某理系院生の日記を書いている人が感情と法律をごっちゃにしてしまっているとは思っていません。上の例はあくまで余談です。
そして、これも余談になるのですが、
某理系院生の日記に『ちなみに僕の専門は法律でも経営でも倫理でもなく、工学ですから』と書いてありましたが、俺の専門も工学ですよ。
なんとなく文脈から、工学が専門だから法律だけの社会は味気ないと思っても仕方ないというニュアンスが取れるので(本人はそう意図してないかもしれないですが)、一応書いておきます。
前々から、ちょっとそれはおかしいんじゃないとおもいながら流していたのですが、
某理系院生の一日を読んでそれを思い出したので軽く書いてみようかと思います。
俺がおかしいなと思うのは
「京大は李登揮氏を構内に入れなかった。残念だ。」
と安易に主張している人たちです。
報道からわかる事実点の整理
・李登揮氏は中央キャンパスには入らなかったが、北部キャンパスには入っている。
・京大がこばんだのはあくまで警察であり、李登揮氏ではない。
もし報道が正しかったとすると、この2点はどうやら事実のようです。
以下は、この2点が事実であるものとして述べていきます。
結論を先に言うと、俺は今回の京大の判断はおかしなものではなかった、と思っています。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/ls-jinken/14gakumon-jiyu.htmをみたらわかるとおり、基本的に警察は大学の許可がないと構内にはいれません。
私人として訪れた人の護衛として警察が同伴するのを許可することを、よしとするかどうかは意見が分かれるところだと思いますが、俺は許可しないという選択肢も十分ありだとおもっています。
さらに疑問点もあります。
・李登輝氏は中央キャンパスに入るためのアポをしていたのか?
中央キャンパスに入るためのアポをしていなかったなら、なおのこと京大に責はなくなると思います。
訪れた日は大晦日であり、職員も少なかったでしょう。そんな日にいきなり『警察の同伴を許可するかどうか』の判断を求められても判断できないと思います。
それでしたら、とりあえずは『許可しない』を選ぶのも当然かと思います。
ここらへんを考えることもないまま
『京大は李登揮氏を構内に入れなかった。』
↓
『中国の圧力に負けたー。最悪だー。』
とか言う人がけっこういて泣けてきます。
ちなみに、
『李登輝氏は京大OBであり、襲われる可能性が高いので、警察官の護衛を許可するべきだ』
という主張を否定はしません。
しかし、京大がこの主張を認めるとすると、
今後、襲われる可能性が高い京大OBが構内に入ろうとした時、例えそれが誰であったとしても警察官の同伴を許可する必要性が出てきます。
(まぁ、もちろん許可しなくてもいいのですが、それこそ非難の対象となるでしょう)
安易に『李登輝氏を京大構内にいれるべきだった』といっている人は、そこのところわかってるのでしょうか?