昭和天皇と靖国神社とA級戦犯スレを読んでいて思ったのですが、このソースが本当かどうか怪しいというコメントが何回か出てきているにもかかわらず、議論がすすんでいっていることに気持ち悪さを覚えます。
そんなわけですこし調べてみました。楽韓Webのほうから情報を引っ張ってきて…
まずメモの全体像は以下のようになります。
メモ画像これをテキストに直すと
4.28 4
前にもあったが どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったが
藤尾(文相)の発言。
=奥野は藤尾と違うと思うが
バランス感覚の事と思う
単純な復古ではないとも。
私は 或る時に、A級が
合祀され その上 松岡、白取
までもが、
筑波は慎重に対処して
くれたと聞いたが
・ 松平の子の今の宮司がどう考
余そ えたのか 易々と
りう 松平は平和に強い考えが
関で あったと思うのに 親の心子知
係す らずと思っている
もが だから 私あれ以来参拝
知が していない。 それが私の心だ
ら多
ずい 関連質問 関係者もおり批判になるの意
とまぁ、ここまでの情報はほぼ間違いないでしょう。
さらにメモの裏側を解読した人がいるらしく、ここから引用すると
63.4.28
xPressとの会見
(1) 昨年は
(1)高松薨去間もないときで
心も重かった
(2)メモで返答したのでつく
していたと思う
(3)4.29は吐瀉したがその前で
やはり体調が充分でなかった
そxで xxに今年はの記者の
印象があったのであろう
=(2)については記者も申して
おりました
(2)戦争の感想を問われ、
嫌な気持と表現したが
それは后で云いたい
そして戦后国民が努力して
平和の確立につとめてくれた
ことを云いたかった
”嫌だ”と云ったのは奥野国土庁長
の靖国発言中国への言及にひっかけて
云った積りである
と書いてあるそうです。写真はリンク先を参考にしてください。
これを受けて先ほどの楽韓Webとここにのっているもの等を参考に、「偶然だろ」で片付けられないような疑問を書いていくと
【重大な疑問】
1 「日記や手帳に克明に書き残していた。」のになぜかこの部分は手帳に貼り付けてある。
2 日記のページは黄色く変色しているのに、メモ自体の保存状態が極めて良好(紙が真っ白)。
3 ブルーインクで書かれた文字が、経年劣化で退色したりかすれたりせず、綺麗なままである点。
4 1988年4月28日に富田宮内庁長官の拝謁の記録なし?徳川侍従長とは打ち合わせの記録アリ?(※未確認情報)
5 「藤尾(文相)」とあるが、藤尾正行の文相在任期間は、1986年7月22日〜9月8日。
6 端書に「そうですがが多い」「関連質問」と書いてある。
裏側に関しては
7 xPress会見と書いてある。
8 4月28日の日記に4月29日の記述がある。
の8つがあげられます。順に見ていきましょう
1:「日記や手帳に克明に書き残していた。」のになぜかこの部分は手帳に貼り付けてある。
写真を見るとわかるように、反対側にもメモ帳がはってあります。これを裏付ける記事としてここに『この二年間の手帳の特徴は書き込みのあるメモ用紙が至る所に張り付けられている』との記述があります。この記事を僕自身が確かめたわけではないですが、このリンク先のサイトの特徴からして本当である可能性が高いです。さらに容易に確かめることができます。
これに対する反論もあり、産経新聞のWebサイトには、『政府筋は「手帳のあのページだけ紙がはり付けてあるという。メモを宮内庁で見た人はいない。本当に昭和天皇が言ったかどうかも分からない」と指摘しており、』と書いてあり前述の意見と真っ向から対立します。どちらが本当かは実物を見てみないと判断できません。
2:日記のページは黄色く変色しているのに、メモ自体の保存状態が極めて良好(紙が真っ白)。
中性紙は1988年には存在したので、可能性としてはありうる。(参考)
3:ブルーインクで 書かれた文字が、経年劣化で退色したりかすれたりせず、綺麗なままである点。
インキの経年劣化について調べたがはっきりしたことはわからず。なんともいえない。
4:1988年4月28日に富田宮内庁長官の拝謁の記録なし?徳川侍従長とは打ち合わせの記録アリ?
調べたがわからず。これもなんともいえない。これが本当だったら決定的。
5:「藤尾(文相)」とあるが、藤尾正行の文相在任期間は、1986年7月22日〜9月8日。
藤尾正行の文相在任期間が1986年7月22日〜9月8日というのは事実であり、メモに記された日付と齟齬が生じている。これは、大きな疑問で、本当に1988年にこのメモが取られたのか?という疑問が残ります。
6:端書に「そうですがが多い」「関連質問」と書いてある。
これも意味不明で、本当に昭和天皇の発言をメモしただけならばこの端書は一体なんだということになります。
7:xPress会見と書いてある。
写真を良く見ても、『xPress』と本当に書いてあるかはよくわかりません。ただ『会見』という文字ははっきり見えます。この会見はいったい何の会見だったのでしょうか?またこれが会見のメモだとすると疑問6の「そうですがが多い」「関連質問」ということにも納得がいきます。ただし、その場合は、メモが昭和天皇の発言である可能性は低くなります(なぜなら昭和天皇がそういった趣旨の会見を行ったことがないから)。
8:4月28日の日記に4月29日の記述がある。
確かに写真を見ると4.29と書いてあるように見えます、なぜ28日のメモに29日のことが書いてあるのかが不明です。ただ可能性としては、27が29のように見えているということも…
と、このように見てきて、この資料には不明瞭な点が多いことがわかります。特に疑問5、6、7あたりが、このメモが本当に昭和天皇の発言なのかということに疑問を投げかけているように思います。
ここらへんの疑問を明らかにしてくれるよう、日経新聞が続きの報道をしっかりやってくれることを望みます。
なお、冒頭に紹介したスレでは
19番の方が
漏れもでっち上げかと疑って、ネットにうpされた写真を何枚も見て、裏返しになってるメモを反転させて読んだり、該当個所の左ページ(靖国問題と無関係なメモが貼ってある)の字と問題のメモの字を見比べたり、いろいろ検討してみたのだが・・・ どうも信憑性が非常に高いと認めざるを得ぬようだ。 正直、残念だが。つか疲れた・・・。
と述べているのですが、その根拠を是非教えてもらいたいなと思ったり…
また、52番の方が
今回の一件は、日経のスクープなわけだが、記者ないしデスクは、かなり以前から情報を握っていたと思われる。 このタイミングで報道したのは、なぜか?ということになってくる。
と書いており、同様の意見を別の場所でも何度か見ましたが、個人的な意見としては政治的なものではなく、日経社員、近く取り調べ インサイダー取引の疑いというニュースを目立たなくしたかっただけではないかなーと思っています。